空き家

【空き家長崎】 長崎に「空き家再生」の光を見つけて

今回と次回に渡って、株式会社NagasakiST(ナガサキスト)代表取締役 大光明孝幸のこれまでとナガサキストにかける思い、そして「これから」をお伝えします。

 

広告代理店~不動産営業へ。消えなかった「独立」への思い

広告代理店~不動産営業へ。消えなかった「独立」への思い

神奈川県横浜市生まれ、横浜育ちの私は小さい頃から好奇心旺盛で、いろんなことにチャレンジする子どもでした。学生時代はサッカーと学習塾に没頭。仲間と一緒に、日が暮れるまで練習をしたり、部活が終われば学習塾にいき、また別の学校の友人と一緒に勉強したりなど、とにかくアクティブな学生生活だったと記憶しています。

その後、大学では工学部建築学科へ進学し、設計と歴史を学びました。もともと建築や建造物に深い興味があり、将来は「自分でモノがつくりたい。自分の設計で家を建てたい」と強く思っていました。設計士としてのキャリアを描こうとしていましたが、大学2年生の設計事務所でのインターンシップで、設計士の厳しい現実を目の当たりしました。有名大学を出ている建築学科卒の先輩が「月給数万円で何年か働く」「仕事は朝早くから夜遅くまでの労働環境」という状況で働いていたのです。

今でこそ、労働環境が見直されていますが、当時はそういった風潮もない時代。この中に飛び込んでも自分がのぞむようなパフォーマンスは発揮できないと感じ、方向転換しました。しかし「自分でモノをつくりたい」という思いは変えられなかったため、プロダクトデザインをしている文具メーカーなど「モノづくりに携われる仕事」という意味でさまざまな会社を検討しました。その中、毎日が文化祭のような、自分で作り方を考えて、制作することができるディスプレイ業界の大手広告代理店の制作部へと就職したのです。

担当したのは展示会やテレビ番組の舞台で使用するセットを手作業で「つくる」仕事。営業とデザイナーがクライアントから受注してきた案件をひとつずつ形にしていく。多くの視聴者に見てもらうことで、そのクライアントの業績を伸ばすきっかけになる。チームで1つのものをつくりあげることに大きなやりがいと嬉しさを感じたものです。

一方で、展示会というものは、会期中の2、3日の期間が終わった後、そのブースを解体して、壊した木材や看板などをゴミ収集車にて回収するという、はかないものでもありました。もったいないことですが、什器やブース等をまた使えるよう作って、倉庫で保管しても次にいつ使うかわからない、来年使うとしてもそれまでの保管費用の方が高くなるなど、さまざまな理由でスクラップ&ビルドが繰り返されていたのです。

自分としては、一生懸命作ったものがその場で壊されていくことに寂しさを感じながら、またつくることができるという嬉しさと、複雑な気持ちで仕事に取り組んでいました。しかし、「モノを大事にしたい」という考えはずっと消えなかったのです。

 

そんなときです。2011年3月、東日本大震災が起こり、テレビ番組や展示会などの制作が一気にストップ。仕事がない状況に追い込まれました。幸い、給与は保証され、3ヶ月ほど今後のことを考える時間がありました。そこでじっくり自分のことを考えてみたのです。

もともとお客様とお話することは得意だという自覚があったこと、さらに「20歳の頃から30歳までにこのくらいの年収をどうしても達成したい」という目標に改めて気づけたのです。そんな中、ロバートキヨサキ著の「金持ち父さん、貧乏父さん」という本を読み、不動産投資の世界を知りました。やってみたいと思いましたが、どうせやるならその業界に入ってしまった方がよく知れる。「自分がやった分だけ稼げる仕事に転職したい」と不動産会社で営業マンへ転身したのです。

 

 

不動産会社で営業マンとして奮闘する日々から独立へ

不動産会社で営業マンとして奮闘する日々から独立へ

「投資用のアパートを扱いたい」と思っていましたが、配属されたのは一般の住宅販売。自分の希望とは違いましたが、「任せられたならやろう」と心機一転、住宅販売に取り組みました。

ただ、結論から言うとここで一般住宅を経験して本当によかったと感じています。集客~販売、クロージング、何よりお客様とやり取りする中で、「お客様のニーズをつかむこと」など、不動産販売のイロハを学ばせていただいたからです。

数年後には投資用のワンルームマンションの営業や新築アパートの営業、地主様への営業なども経験。在籍した7年の間にあらゆるチャレンジをさせていただいたことは自分の中の財産になっています。

当時30歳。このタイミングで独立しようと考えていました。独立しようと考えたとき、1社目の広告代理店の先輩たちが古家を買い取ってシェアハウスを経営していたり、ツリーハウスをつくってみたり、古材を取り扱った会社を立ち上げたりと、好きなことを仕事にしていることを見てきました。自分も、「大切にしたい思い」を起業のきっかけにしたい。だけど自分は新築の建物を取り扱っている。そこから「自分が本当にやりたいこととはなんだろう」と考えるようになりました。

そんな中、周りの方からお声がけしていただき、いくつかの企業でお世話になりました。そのひとつが、「経営コンサルティング」の仕事です。中小企業の決算をお預かりして、資金調達や経営コンサルティングを1年間お手伝いさせていただきました。資金調達からその資金をどう使って会社を拡大していくか、間近でサポートさせていただく中で、経営者側の悩み、また事業課題を自分事としてとらえる良い機会となりました。

こうやって振り返ってみると、私は「お願いされたことは基本断らない」スタンスで、とにかく周りの方々のお役に立てるようにと行動してきたように思います。20代のときには震災の影響で広告業界全体が傾き、大変な思いをしましたがそれもあわせて「無駄になることはひとつもない」と痛感しています。

その後、2017年に独立。2020年4月には不動産関連の事業を始めました。再生可能エネルギー関連で太陽光発電所の販売などを手がけていく中で、私は空き家再生事業と「運命」の出会いを果たすのです。

 

長崎で不動産をやっているオーナーさんのきっかけで長崎へ

長崎で不動産をやっているオーナーさんのきっかけで長崎へ

 

2021年、9月のことです。長くお付き合いさせていただいている友人から「長崎に購入したい物件があるから一緒に見てほしい」と頼まれました。

初めて降り立った長崎の地。早速私たちは物件見学に向かいました。海も山もある長崎の地。みなさんもご存じのように、長崎は「坂の街」。実際、歩いていると人が通るのもやっとな階段や道がいくつもあります。そのたびに「こんにちは」とあいさつを交わし、お互いに道を譲り合う……。ここでは当たり前の風景かもしれませんが、私は日本の原風景をそこに見た気がしました。

そういった人のあたたかさに触れたからか、私は初めてきたのに、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。それは、私のふるさと、横浜に似ているところがあったのかもしれません。そうして、いくつか物件をまわっていたときのことです。

おもむろに「ほら、あそこも空き家だ」と友人が教えてくれたのです。見ると、坂の住宅街に空き家たちが点在するのが見えました。中には、古びた空き家が何軒も連なっている地域もあったのです。

「どこの地域もそうかもしれませんが、長崎も空き家が多いのですね」そう現地の不動産屋さんに尋ねると

「ええ、そうなんです。実は問題も多くて。雨漏りがして異臭がしたり、犯罪に使われたり、動物が棲みついて近隣に害を及ぼすこともあるんです」と話してくれました。

一方で、不動産会社も空き家の売買に積極的にかかわらない現状も見えてきました。不動産は仲介手数料によって成り立つ商売のため、売買価格が高ければ高くなるほど、不動産会社に入る額は多くなります。

その点、空き家は数十万程度の価格にしかならないのに、作業量は新築物件とほぼ同じ。価格が低い分、興味本位で問い合わせしてくるお客様も多く対応しきれない。つまりコストパフォーマンスが悪く、現地の不動産屋も手を出さないというのです。

空き家を使ってビジネスしていらっしゃるのは個人投資家の方がほとんど。それもご自身で空き家を探して、工務店を探して、施工をして……という相当な手間をかけていたり、DIYといって自分自身で材料や設備を購入して、自分で取付をおこなったりするとのこと。しかもそれらはすべて「投資用」。もちろんそれによって、数十軒の空き家が解消されるのかもしれません。しかし、それにも限度があります。

長崎の空き家事情を聞くにつれ、私はここに「課題がある」と感じたのです。

 

長崎だからできることがある

長崎だからできることがある

「課題がある」と考えたのには大きく分けて3つの理由があります。

 

1つ目は、不動産業者で事業として空き家再生に真剣に取り組んでいるところが少ないこと。

2つ目は、長崎の方たちはそのエリア特有で「この町に住みたい」という思いが強く、その町に空き物件が出るまで根気強く待っていらっしゃること。つまり「借り手」「買い手」はその町の中に必ず存在することになります。実際、大浜町、東町などを訪れてみると、それぞれ違った特徴がありました。こういった「地域の人とのつながり」が、空き家事業には追い風になると感じたのです。

3つ目は、私自身が「ここでなら事業がうまくいく」という直観です。長崎は物価が安く、暮らしやすい。新鮮で分厚い刺身定食が680円で食べられる。これは首都圏ではまず考えられないことです。また、少し足をのばせばハウステンボスや世界遺産があり、新世界三大夜景にも選ばれるなど、観光資源にも恵まれています。中世ヨーロッパでは、地球儀に日本を表す言葉として、「Nagasaki」が入っていたほど、そもそも日本の玄関口としての役割があったとされています。初めて鉄道が走ったり、西洋の文化をいち早く取り入れたりと、時代の最先端を進んでいました。

この3点から、私はこの地で「空き家再生事業をしたい」という気持ちが固まり、翌年の2022年に「株式会社NagasakiST(ナガサキスト)」を設立しました。長崎という地と人の良さに惹かれた面もあります。なお、ナガサキストという社名については、さまざまな想いを込めています。別の記事(https://nagasakist.jp/blog/208)でご紹介していますのでそちらも併せてご覧いただけたら幸いです。

 

まとめ

さまざまな人とのつながりの中から「長崎」とのご縁をいただきました。責任を持って全力で今後も事業に取り組んでいきたいと思っています。なお、弊社が扱うのは「戸建」の空き家ですが、もうひとつ、空き家事業をしたかった背景には「戸建」に対する私のこだわりがあるからなのです。それは次回、お話したいと思います。