空き家

ものづくりの遺伝子

一度は人が住まなくなった家を、再び人が住む家に生まれ変わらせる。ゼロからではないものの、空き家再生はいわば“ものづくり”の一つだと私は考えています。
 これまでさまざまな職を経て、今の事業にたどり着いた私ですが、振り返るとこの道を選んだ背景には、祖父の影響が大きかったと感じています。今回は、私の祖父にまつわるお話をさせてください。

日本のものづくりの最前線で活躍した祖父


 昭和初期、長野県の呉服屋の息子として生まれた祖父は、社会人になると上京し、日本光学工業株式会社(現:ニコン株式会社)で技術者として働いていました。
 祖父が開発に携わったレンズは、1971年アメリカNASAが月面着陸を目的に行なっていたアポロ計画のアポロ15〜17号に搭載したカメラに使われていたそうです。
 残念ながら今は調べても祖父の名前こそ出てこないのですが、私は生まれてこの方ずっと親や親族など周囲の人から祖父の活躍を聞いて育ったので、子どもながらに「祖父はすごい仕事をしているんだな」と思っていました。

 戦時中も戦争には行かず技術者としての道を歩み続け、その後の時代も日本のものづくりを支えてきた祖父。母をはじめ子どもたちには厳格な父だったようですが、私も含めて孫たちには誰に対してはいつも穏やかで、お年玉も誰よりもくれる(笑)優しいおじいちゃんでした。私は特におじいちゃん子で、正月は毎年欠かさず挨拶に行きましたし、よく遊びにも行っていました。

 そんな祖父に、たった1回だけ、ひどく怒られたことがありました。あれは私が小学生低学年だったでしょうか、やんちゃ盛りの私は祖父の家にある革張りのソファにふざけて歯形をつけてしまったのです。すると、祖父は私を厳しく叱りました。
「何てことをしたんだ! 二度とするな!」
母親と一緒に謝罪をしながら垣間見る祖父の怒った顔は、数十年経った今でもはっきり覚えています。
 今ならあの時の祖父の気持ちがわかります。
「ものを大切にしろ!」と言いたかったのでしょう。物理的な意味だけでなく、ものづくりに携わる者として、ものを作り上げる人へのリスペクトも込められていたのだと思います。思い返せば、祖父の家にあるオブジェなどの置物、家具、電化製品などは、いつも綺麗に並べられ大切にされていました。「つくられた物の後ろ側にはいつも人の存在があるんだ」幼い私もなんとなくそのことを感じ取っていたのかもしれません。

受け継がれた祖父の遺伝子

 祖父母の家は比較的大きな一軒家。祖父は仕事についてあまり多く語ることはありませんでしたが、私も成長していく中で祖父の仕事へのプライドを感じる場面は多々ありましたし、研究のために長期間家を空けるなど一生懸命に取り組む姿もよく目にしていたので、「仕事を真剣にすれば、財を成すことができる。大きな家にも住めるんだ」と、自然に思うようになっていきました。

 ただ祖父は、自分と同じ道を子どもや孫に求めることは決してありませんでした。私が社会人になり働くようになってからも、仕事のことは深く聞かれなかったですし、その代わり「困っていることはないか?」といつも気遣ってくれていました。子どもや孫にはそれぞれの生き方がある、と思っていたのかもしれませんね。

また家族のことを誰よりも考えている人でした。それは、祖父が亡くなったときのことです。祖父が亡くなった後「遺産の整理が大変かもね」と母や母の兄弟は言っていたのですが、それには及ばず。祖父は生前から財産を分配していたり、相続税の負担を減らすための生命保険に加入していたりと、自分が亡くなった後、残された家族が困らないよう、完璧な準備が計画的にされていたのです。私だけではなく家族全員がその配慮に感動しましたし、私もこんな生き方がしたいと強く感じました。
 ちなみに私は母方の祖父だけでなく、父は無線機の技術者、バイク好きが多い父方の親戚にもエンジン設計者がいるなど、私の家にはとにかく「ものづくり」に携わる人が多い環境でもありました。私は誰からも「そうなれ」と言われたことはないのに、気がつけばものづくりの世界へ飛び込むことになっていました。遺伝子は着実に受け継がれていく。そう考えると、自分のことながらとても面白いなと思います。

ものづくりで人の記憶に残る人生を


 なぜ人は働くのか。もちろん生きていくためにお金は必要ですから、お金を稼ぐことも働く目的の一つではあります。ですが私は、働いてただ収入を増やすだけでは「物足りない」と感じてしまうひとりです。
 それは、世界的に重要な意味のあるものづくりに関わりながら、決して奢ることなく家族の幸せのために力を尽くしてきた祖父の背中を見てきたからこそだと思っています。
 単純にお金を稼ぐために働く人生ではなく、人の記憶に残る人生を送りたい。子どもたちに生き様を誇れる生き方をしたい。
 誰かの思い出の家を生まれ変わらせ、再び新たな思い出を紡いでいけるようお手伝いする空き家再生という事業も始めたのも、そんな思いからでした。

 これからも祖父から学んだことを胸に、どれだけ稼ぐかよりも「何のために稼ぐのか」を深く考えていきたいですし、時代や環境が変わってもものづくりに携わる者としてのプライドを忘れずに、人生を歩んでいきたいと思っています。私の話を聞いてくださりありがとうございました。また、どこかで別のお話もさせてください。