空き家

【空き家長崎】低廉な空き家の新築時の時代背景から思う空き家再生とは?

今、低廉な空き家として取引されている案件は、築40〜50年またはそれ以上の築年数のものが多いです。そういった頃に新築された住宅の時代背景を読み取った上で、当社の大事にしていることをご紹介していきます。

 

【空き家長崎】1970年代の日本の時代背景

 

50年前の日本、つまり1970年代前半の日本の時代背景と住宅産業の状況は、戦後の高度経済成長の影響を強く受け、社会全体が大きな変化と発展を遂げた時期でもあります。当時の日本の全体的な時代背景と住宅産業の状況について詳しくご紹介していきます。

 

  1. 高度経済成長のピーク

1970年代前半は、日本の高度経済成長期の最盛期でした。特に1960年代後半から1970年代初頭にかけて、日本の経済は年平均10%を超える成長率を記録しました。工業生産や輸出が急速に拡大し、日本は世界第2位の経済大国としての地位を確立しました。

大阪万博(1970年)

1970年に開催された大阪万国博覧会は、日本の技術力と経済力を世界にアピールする場となり、国内外での日本の地位向上に貢献したとされています。

 

  1. オイルショック(1973年)

1973年の第一次オイルショックは、日本経済に深刻な影響を与えました。原油価格の急騰によりインフレが進行し、経済成長率は急速に鈍化しましたが、この危機は同時にエネルギー効率の改善や産業構造の転換を促す契機にもなったということです。

 

  1. 都市化の進展と社会問題

農村から都市への人口移動が加速し、都市部の人口が急増しました。これにより、住宅不足や交通渋滞、環境汚染といった都市問題が顕在化しました。教育水準の向上と生活水準の改善により、中産階級が台頭し、消費社会が成熟しました。

 

【空き家長崎】1970年代の住宅産業の時代背景

 

  1. 大量住宅供給の時代

高度経済成長期における急速な都市化に伴い、住宅需要が急増しました。これに応じて、政府は大量の住宅を供給するための政策を推進しました。特に、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、住宅供給は大幅に増加しました。

 

公団住宅・団地の建設

日本住宅公団(現:都市再生機構)は、1960年代から1970年代にかけて、都市部に大量の団地を建設しました。これらの団地は、中流家庭向けの住居として機能し、都市部の住宅不足を解消する役割を果たしました。

 

  1. 住宅金融制度の充実

日本政府は、一般家庭が住宅を購入しやすくするために、住宅金融制度を充実させました。住宅ローンの普及や税制優遇措置により、持ち家率が上昇しました。

 

公的住宅ローン:住宅金融公庫(現:住宅金融支援機構)が提供する住宅ローンは、低金利で長期にわたる融資を可能とし、多くの家庭が持ち家を取得するのを支援しました。

 

  1. 建築技術の進歩

1970年代には、建築技術の進歩が顕著で、鉄筋コンクリート造の高層マンションが増加しました。また、プレハブ工法の技術も進展し、効率的かつ低コストで住宅を供給できるようになりました。これにより、住宅の質も向上し、耐震性や居住性が改善されました。

 

  1. 住宅のデザインとライフスタイルの変化

1970年代の住宅は、家族構成やライフスタイルの変化に対応する形で設計されるようになりました。核家族化が進む中で、各家庭においてリビングルームや個室の重要性が高まりました。また、家電製品の普及に伴い、住宅内の電気設備やインフラも整備されました。

1970年代前半の日本では、急速な経済成長と都市化の進展に伴い、住宅産業も大きな変化を遂げ、現代の住宅市場の基盤が築かれました。この時期の住宅供給とインフラ整備は、現在の日本の都市環境や生活スタイルにも大きな影響を与えています。

 

【空き家長崎】時代背景から考える空き家再生について

 

経済的にも歴史的にも様々なことが起きた1970年代のお話をしてまいりました。ここでは、そういった時代背景から考えて、空き家再生において当社が大事にしたいことをご紹介していきます。

高度経済成長期は人口増加しており、年の人口増加率は平均1%程度になったとされています。また、その後、1971年から1974年に「第2次ベビーブーム」がきて、増加率は年1.4%程度の高い増加率になったということです。人口が増えていくということは、それぞれに住宅が必要になり、こどもたちの部屋が必要になっていったことも想定できます。空き家再生で出会う色々な物件は、同じ間取りと建物というのも珍しいくらい、その土地や住んでいた家族構成に合わせて建築されていることを感じます。今でいう、関東圏内の3階建の建売住宅で10棟並んでいるというような建て方は、この年代の建物では見たことがありません。それだけ、ある程度間取りや広さについて、施主の思いが反映しやすい自由度があったのだと考えられます。

 設計等に自由度があったということは、その時に住んでいた方々の思いや、背景がそのまま家に現れて残っているということにもなります。私たちは、そういったひとりひとりの家づくりへの思いがつまった建物を、空き家再生をすることで大事にしていきたいと考えています。可能な限り間取りはそのままにして、当時の面影を残しながら、居住空間はキレイにして、設備関係は新しくする、といった手法での空き家再生をこれからも変わらず心掛けていく考えです。

 

(出典:国土交通省 第1部 地域活力向上に資する国土交通省の展開)https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h18/hakusho/h19/html/i1121000.html#:~:text=%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%A2%97%E5%8A%A0%E7%8E%87%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%82%8B,%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82

 

まとめ

 

低廉な空き家たちが新築された際の時代背景から、当社が大事にしていることをご紹介いたしました。今では、戦争の恐ろしさや過去の過ちなどを生の声で聞くことすら、難しくなってきてしまいました。家に関わる文化や歴史も同様に、その家が実在することで、当時のことを伝えることにつながっていくと、私たちはそう信じています。